世界遺産ともう少しで世界遺産

2012年 2月 3日
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2011年の世界遺産に登録された「奥州平泉中尊寺」とその構成資産から除外されてしまった「達谷窟(たっこくのいわや)」を訪れました

 
 
 


中尊寺の長い山道を歩いて、ようやく出会えた金色堂は、鉄筋コンクリートで作られた建築(器)の中にありました。

風雪から守るための器であれば、四角でも三角でも丸でも良いと思うのですが、木造建築風の形をしています。

 
 
 


この木造建築を装ったコンクリート製の建築は、覆堂(おおいどう、さやどう)と呼ばれるらしいのですが、内部空間における工夫の必要性も感じました。

金色堂の金箔の色を損なわない方法で自然の光を取り込み、金色堂を柔らかく包むことができると、当時の技術の粋(すい)を凝縮させた仏堂の魅力をより伝えることができるのではないかと思います。

さらに、「この場所」を意識できる要素を内部に持ち込み、金色堂と併置させてほしいとも思います。

または、ガラスの新しい技術により、存在感の消えた覆堂でおおうことができれば、上記のようなことを考える必要がなくなるかもしれません。ただし、ガラスという素材で伝統的な建築を包む場合、その使い方を誤ってしまうと、コンクリートで包み内外の関係を断ち切った方がかえって良かったということになりかねません。

 
 
 


実際の「金色堂」を見て、なぜかフェルメールの絵を思い出しました。

初めて見る金色堂は想像していたものより小さく、その小ささ故に、中に凝縮されたエネルギーを想像させるからではないかと思います。

注意:金色堂の写真撮影は禁止です。

 
 
 


中尊寺をたって、今回の旅の最後の訪問先、達谷窟(たっこくのいわや)に着きました!

 
 
 


達谷窟 毘沙門堂(たっこくのいわや びしゃもんどう)は、建築専門誌でみかける「三仏寺投入堂(さんぶつじ なげいれどう)」を想わせます。

 
 
 


岩に彫られた顔面大仏

タリバンによって破壊されたバーミヤンの石仏とは迫力が違うかもしれませんが、日本にもこのような「ほのぼの顔の石仏」があることを知り、誇りに思いました!

風化を防ぐ手立てが見つかってほしいと思います。

 
 
 


801年、坂上 田村麻呂(さかのうえ たむらまろ)が、達谷窟を拠点としていた蝦夷を討伐した記念として建て、その後何度かの焼失と再建を繰り返し、現在に至っているようです。

私たちが訪れた時は、創建時の鮮やかな「朱色」へと修復されておりました。

しかし、ここを訪れたことの決め手は、絶壁の窪みに静かに佇む「黒ずんだ高床の建築」の写真をネットで見つけたからでした。

つまり、この写真のものとは別の風貌に惹かれ、訪れたのです。

日本の伝統的な建築は、つつましやかなものであると思うのは、現代の私たちの勝手な誤解なのかもしれません。創建当時のこの色の建築にも、私たちは価値を置かねばいけないのだと思うのです。
しかし、長い時間によって作り出された表情に歴史的な価値があると思ってきた私たちの感覚には、訴えづらいというのが本音かもしれません。そして、これを「朱色」に修復をしなかったとしたら、2011年の世界遺産の構成資産として選ばれたのではないだろうか?とも、ついつい考えてしまうのであります。

 

(写真撮影 2011年9月12日) 塚田眞樹子建築設計