奥州市にある県下現存最古の民家

2012年 1月 10日
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岩手県の民家と言えば「曲屋」づくり。でも、県下の現存最古の民家である旧後藤家住宅を訪ねてみたところ、それは「直屋」づくりでした

 
 
 


17世紀末(江戸時代中期)に建てられたと推測される旧後藤家住宅

岩手県の民家と言えば「曲屋(まがりや)」が有名ですが、旧後藤家住宅は何故か「直屋(すごや)」という形式の長方形平面のもので、しかも主屋に馬屋が付随していません。

○「曲屋」は、主屋の一方から直角に馬屋が突出してL字形をなす農家のつくりで、18世紀後半以降、広範に普及。

多雪地域では馬も同じ棟で暮らす方が世話をしやすい反面、くつろぎの場から視界に入らぬようにしたいもの。そのため、馬屋をL字型に曲げて配置するというのは理に適っており、広範に普及したのかもしれません。

では、なぜ、豪農であったはずの旧後藤家が、「曲屋」づくりを採用しなかったのでしょうか?

この民家が造られた時代が古く、「曲屋」が普及する以前のものだったからではないかと思い、よく調べたところ、岩手県の中でも旧仙台藩領の民家は、ほとんどが「直屋」だったようです。
これは、この地方では、建築様式の成立は風土性ではなく、藩政に強く影響されたことが推察できます。つまり、同一の地域で風土も同じであるにもかかわらず、藩の境界線を境に全く異なった様式が存在するのは、藩ごとに行政・経済などの差があり、それが建築に影響を及ぼしたことになります。

旧後藤家が属した旧仙台藩が「主屋は直屋にすべし!馬屋は別棟にすべし!」という建築制度を発したとしたなら、農民は従わざるを得ません。例え隣家が「曲屋」であっても、それは、旧南部藩という違う藩に属するからこそ許されたことなのであります。

理不尽な。。。とも思いますが、何か特別な藩の理由があったのかもしれません。

 
 
 


土間、踊っているように並び立つ二重の丸太柱、小屋裏まで一体となった空間。

当時、近くで手に入りやすい材料を組み合わせて造ったものとは思えない、迫力があります。

 
 
 


この旧後藤家住宅は、元あった敷地からここに移築し、創建時の姿に復元。

ただし、柱に関しては、建築当初は土に穴を掘って埋める掘立柱(ほったてばしら)を採用していたことが地下調査より判明したそうですが、礎石に載せる発展形に復元。

堀立柱の利点は単独で自立できる点ですが、柱根が腐朽しやすい欠点をもちます。

 
 
 


礎石の上に柱がのっているだけですが、今回の大地震で倒壊はしませんでした。(でも、微妙にずれた痕跡をみつけました)

苔やアリ地獄も一緒に生活しています。

 
 
 


軒先は低く、建物の周囲は開口部が少ないため、内部はうす暗い。

しかし、このうす暗さが包み込むような暖かさを与え、心地よさを感じさせました。現代の私たちは、明るさを求め過ぎているのかもしれません。

 
 
 


就寝のための空間は、「納戸」と呼ばれる暗い小部屋。寝具は床に藁(わら)を敷き、上に着物を掛ける程度の広さがあれば充分であったようです。

 
 
 


菊池哲男さんと菊池ミツさん、ご夫妻でここの管理を任されています。
朝早い時間に見学希望をしたにも関わらず、快く引き受けてくださいました。

とても仲良しのご夫婦です。

見学の問い合わせは、
岩手県奥州市歴史遺産課企画管理係 電話: 0197-35-2111(内線442)  FAX: 0197-35-7551
へどうぞ。

旧後藤家住宅の所在地:岩手県奥州市江刺区岩谷堂字向山

 

(写真撮影 2011年9月12日)塚田眞樹子建築設計