みちのくの小京都「角館」の建築

2011年 12月 29日
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黒の板塀に囲われた武家屋敷、そして高樹齢の巨木が印象的と言われるみちのくの小京都角館(かくのだて)を訪れてきました。

 
 
 


角館がみちのくの小京都と言われる所以は、明暦2年(1656)佐竹北家の佐竹義隣(よしちか)が「所預り」として角館を引き継いだのですが、その義隣は京都生まれの京都育ち、さらに息子・義明(よしあき)の妻も京都の三条西家の出身だったため、京文化が色濃く伝えられたところに因ると言われています。

ただ、武家屋敷に至るまでの通りはお土産屋などが連なり、他の有名な観光地に行った際に感じるものとどこか共通するものがあり、ここ独自の作り方はないものかと考えながら歩いてしまいました。

 
 
 


青柳家の門です。

当時、このような重厚で格式高い造りの門は上級武士にしか許されませんでした。

青柳家では、主屋の玄関が正玄関・脇玄関・使用人用玄関と3つあります。つまり、この門の内側には、家族が住まうための場と、主人の重要な接客の場が存在することがわかります。

青柳家にとって、門-前庭-玄関という一組の空間は、単なる通路にとどまらず、家族が存続するためには社会との交流が欠かせないという相反する要求を満たすための第一関門の場であったのです。

 
 
 


主屋の写真です。

写真の玄関は立派に見えますが、正玄関ではなく家族が使用する脇玄関です。

 
 
 


敷地内の建築の写真です。

秋田県に入り角館に近づくにしたがって、切り妻屋根下の妻側の三角形部分の造形が、この建築と共通するものが多くなっていくと感じました。
屋根を支えるために必要な構造材である小屋梁・束・母屋を幾何学的に整然と配置し、白壁から浮き立つような表現にしているのです。

よく調べてみると、外観として現れているもの全てが構造材として必要なものとは限らず、化粧として取り付けている部材もあるようです。

 
 
 


これらの開口には、当時はガラスをはめ込んでいませんでした。

 
 
 


青柳家の庭を散策していたら、こんな楽しい敷石がありました。

 
 
 


石黒家の門と水路です。

石黒家は、現在でも直系の末裔家族が住み続けながら、建築や庭を大切に保存・公開しています。

 
 
 


奥の座敷は、土縁(つちえん)という縁側で囲われています。

縁側は、屋根付きの土間になっており、庭先の石を思わせる手洗いボウルが置かれていました。
内部と外部の境界を曖昧にし、庭がうちに入り込んでいるような感覚を受けました。

雨戸は土間の外についています。
これは雪国特有のものなのでしょうか?(他の地域も訪れ、調べる必要がありそうです)

 
 
 


私たちが訪れた日は石黒さんがおり、直接お話を聞くことができました。

一番のこだわりは、角館で唯一、実際に住み続けながらの保存と公開。住み続けながらこまめに修復しつつ保存をしていきたいとのこと。

過去に柱の足下が腐り、建物の一部分が沈んでしまったため、下から1/3程度のところで木の柱を継いで(木造建築特有の修理方法)、修理したことがあるそうです。

 
 
 


最後は、見学予定には入れていなかった松本家です。

閉館の時間になり、帰ろうとした途中で見つけた建築です。
茅(かや)葺き屋根の形と石置き屋根の組み合わせに妙に惹かれ、主人の知性と造形センスの良さを感じ、思わず写真を撮ってしまいました。

調べたところ、松本家は、石高(ごくだか)の少ない下級武士の住宅。
角館の他の屋敷のような黒塀ではなく生垣をめぐらし、門も柴垣ととても簡素なつくりの屋敷です。

にもかかわらず、烏帽子於也(えぼしおや)という藩政期の教科書を著した「須藤半五郎」を排出した向学の家族の住宅であったのです。

やはり!

建築は、主人を現わす。

 

(写真撮影 2011年9月11日) 塚田眞樹子建築設計