田老(たろう)と津波

2011年 11月 17日
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宮古市田老では、NPO法人「立ち上がるぞ!宮古市田老」を設立し、自立復興に向けての町づくりをスタートさせました!

 
 
 


明治大学 青井建築史・建築論研究室/「三陸海岸の集落 災害と再生:1896, 1933, 1960」によると、宮古市田老(たろう)は、明治三陸津波(1896)昭和三陸津波(1933)のどちらの後も、高地への集団移動が論じられたようですが、十分な用地がなく、かつ漁業を主生業とする関係で、防潮堤建設、若干の土盛り、地区の改正による非移動で再興してきたという歴史があるようです。

 
 
 


防潮堤建設は1933年の昭和三陸津波の被害を受けた翌年度に始まり、1957年に1350mの長さで完成。78年までにはさらに582m、501mの2本も完成。

この防潮堤完成後は、「津波防災のモデル」として国内外に名をはせてきたとのこと。

 
 
 


延長2433m、高さ10mの巨大防潮堤は世界的にも珍しいX型。新旧を中央部で接続しX型としていました。

旧防潮堤と新防潮堤の間には広い土地が生まれ、次第に浜小屋が建ち始めたようです。平穏な日々が何年か過ぎると住宅が1軒、2軒と増え、あとは加速度的に市街地が広がったようです。

今回の津波で、このX型の二重防潮堤のうち新しい587m部分が一瞬で倒壊したとのこと。さらに津波は倒壊しなかった旧防潮堤をも大きく超え、住宅地を襲ったようです。

 
 
 


X型の二重防潮堤の倒壊していない側の写真です。

 
 
 


倒壊した防潮堤の解体されずに残っていた水門部分の断面を大きく撮った写真です。

なぜか、水門だけではなくゲートなどの部分にも、鉄筋の定着の痕が残っていません。つまり、倒壊した部分は、この残っている部分と鉄筋で繋がっていなかったのだと思います。

 
 
 


倒壊した防潮堤より海側にある鉄筋コンクリート造の建物です。

外装材はぼろぼろになりながらも、防潮堤とは対照的で、構造体には何の損傷もないように見えます。

 
 
 


何度もの津波に襲われながらも、この郷土にとどまり、村民一丸となって復興対策を進めることを決めた先人は、昭和三陸津波の後「田老村災害復旧工事計画」を立案。

この計画に対し、国、県からは無謀な計画のため支援できないと言われたが、村単独でも実施するという強い決意をもって大防潮堤建設をスタ-トし、2年目からは国と県が工事費を全面負担。住民は建設のために私有地を2割提供。大防潮堤完成後は、防災施設を整備し、防災の町づくりを進めてきました。

自然の力は計り知れないものがあり、また時間の経過とともに津波防災への意識も低下し、今回の東日本大震災によりまたしても津波被害に見舞われることとなってしまいました。

しかし、この被災後も、先人に負けない気概をもって、自分たちの手でまちづくりをしようとしています。

NPO法人「立ち上がるぞ!宮古市田老」を設立し、被災者主体の復興を実現するため、住民自らによる「復興まちづくり計画」の検討会をスタートさせました。今度は、高地移転も視野に入れているようです。

 

(写真撮影 2011年9月11日) 塚田眞樹子建築設計