漁の再開と重茂(おもえ)の漁業

2011年 11月 9日
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9月10日、三陸海岸沿いでは、少しずつ漁を再会している様子がうかがえました。美しい風景も戻りつつあります。

 
 
 


釜石市唐丹(とうに)の海岸で船を3艘みつけました。

 
 
 


山田湾では、牡蠣の養殖を少しずつはじめていました。

 
 
 


岩手県宮古市重茂・里地区

テレビで宮古市重茂(おもえ)の漁業組合が、組合長の元、国や自治体の支援を待たずに自分たちの手で漁船を手に入れ漁を再開しようとしているのを知りました。

元々漁業は、組合組織などの結合が強く、しかも「長」のリーダーシップと権限が強いという特徴があるようです。
今回のような災害時にも「長」がヴィジョンを示し、皆で行動に移していこうとする、これも広い意味での地域の「文化」なのだとききました。歴史的に形成されてきた漁村の文化なのかもしれません。

本当はもっと早くここを訪れ、何か役立ちたいと考えていました。自力で漁を再開しようとしている重茂が早く立ち直ることができたなら、他の漁村や他の産業へも勇気を与え、さらに他の市町村への波及効果もあると思ったからです。でも力不足で何もできず、結局半年が経ってしまい、9月10日の夕方、ただここを訪れることしかできませんでした。

 
 
 


着いたのは夕方でしかも雨だったためか、最初は人影が見当たりませんでした。

津波で流された風景の中では、どこに何があるのかわからず、うろうろするばかりでしたが、ようやく雨の中、釣りをしている方に出会いましたので「重茂漁業の方ですか?」ときいてみたところ、千葉からここへ来ている方とのことで、「もう少しまっていたら釣り船が戻ってくるよ」と教えてくださいました。

 
 
 


その船をまっている間、色々なことをお話してくださり、最後に「定年してから1年の1/3くらいは、岩手にいるよ。いいところなんだ。岩手のひとでいやな人にであったことがない。」と言っていたのが印象的です。

 
 
 


そうこうしているうちに釣り船「幸漁丸」戻ってきました。

今度は、この船を保有している方(写真左の黒い服の方)が親切にも声をかけてくださいました。その上「雨だから、うちに来なさい」と高台にあるため被害を免れた自宅に案内してくださり、我々にコーヒーまでごちそうしてくださったのです。そして、3月11日のことやその後のことについてお話をきかせてくださいました。

 
 
 


声をかけてくださったのは、「幸漁丸」 船長:後川正得さん

兄弟で釣り船屋を20年経営。昼は正得さんが、夜は弟さんが出航。

3月11日のお話をきかせてくださいました。

「地震の当日は、無線で津波を知った。船を守るために一人一艘ずつ船に乗り、計6艘で沖へ向かった。津波後、三日間船上で海が収まるのを待った。船には常時食料が積んであるが、足りない分などは周りの船から買ったりした。津波の到達より前に船を出せれば助かるが、間に合わず駄目だった人もいた。近所でも間に合わず、一人亡くなった。当日は電話が通じずに家族の安否確認ができなくて不安だったが、皆無事だった。震災後、釣り船屋の常連さんから、見舞い金、ガソリン、米、食料などをいただき本当に助けられた。長い間釣り船屋をしてきて良かったと思った。」

お住まいは、昔は海岸沿いにありましたが過去の津波で流されたため、高台へ移られたそうです。漁業組合は過去三度の津波で三度とも流されているため、今度は海岸沿いを諦めて高台へ移す予定だそうです。
ただ、高台は地主が土地を手放すかどうかがわからないことと遺跡があるため、それらがネックになるかもしれないとのこと。

 
 
 


この地域は、わかめやこんぶの養殖、天然の「雲丹(うに)」「鮑(あわび)」の漁が有名です。特に鮑は、重茂の複雑な地形が品質の良いものを生み出すようです。

 

(写真撮影 2011年9月10日)) 塚田眞樹子建築設計