気仙大工による建築

2011年 11月 2日
|

三陸地方の建築を調べていくうちに、気仙大工といわれる人々によって造り上げられてきた建築文化の存在を知ることとなりました。


八木澤商店

陸前高田市で200年間つづいた老舗の醸造業「八木澤商店」は、津波によりすべてを失いましたが、その後、一関市大東町摺沢に店舗を構え業務を再開しています。

かつての「八木澤商店」は、交通の要衝として栄えた店蔵の並ぶ町並みの中でも、ひと際目立つ存在であったようで、様々な町並みブログに、「八木澤商店」の建物を見ることができます。平入りの店蔵と妻入りの蔵が街道沿いに面し、その間に門があり、その門の奥は屋外になっています。


これは一関市に構えた「八木澤商店」の道路向かいにある住宅を撮った写真です。
陸前高田市にあった頃の「八木澤商店」の建築と共通点があり、思わず立ち止まって観察してしまいました。

共通点
○2階建で色や素材感を統一した主屋と蔵が、庭を介して、その妻面を90度振って配置されている。
○蔵の木製の屋根が薄く、軽やかに浮いている。

かつての「八木澤商店」の建築は気仙大工によって作られた商家です。
気仙大工とは岩手県気仙地方(藩政期は伊達領)の大工の呼称で、江戸時代から出稼ぎを中心とした大工集団をつくり、民家はもちろん堂宮から建具、細工もこなす多能な一団だったようです。
この住宅をみる限り、その特徴を受け継いだ建築が今もこの地方でつくり続けられているのではないかと思います。
なぜなら、気仙大工によって作られる建築の屋根で、「入母屋づくり」「船がい(せがい)造り」が最高の造りとされたようなのですが、この住宅の主屋にはこの両方の特徴がみられるからです。

○「入母屋づくり」とは、屋根としては最も複雑な構成でもとは普通の民家で勝手に造ることは禁じられていた。
○「船がい造り」とは、軒を大きく出し柱から腕木を突き出して桁を載せる構法。


一関摺沢を出発し、陸前高田に向かうため今泉街道を走っていると、気仙大工の特徴をもつ建築を多く見かけました。


大東町大原の町並みの中でもひと際目立つ「酔仙酒造」

街道に面する建ち方やなまこ壁や屋根の浮き方がかつての「八木澤商店」に似ています。これもきっと気仙大工の仕事だろうと眺めていると、「この中見せてもらったら?」と親切な方が声をかけてくださり、家主さんにお願いしてくださいました。


色々な部分に、気仙大工の技術の高さが伺えます。
折上扇支輪天井は大変な技術を必要とします。


欄間や障子はシンプルなデザインです。


ここ大原は、蔵が火事の延焼を防いだという歴史があるため、蔵が多いとのこと。

氷点下のなかを水をあびながら男性が走り抜ける、奇祭・大原水かけ祭りが300年以上も前から行われているそうですが、それもやはり、大火を経験したとう歴史によるものなのだと思います。


道路に面して全面開口にもかかわらず、大地震にも耐えてしまうのは、やはり気仙大工の技術の高さなのでしょう。


大原では「2階部分がせり出した」建物がたくさんありました。

このように「2階部分をせり出すために梁を突き出す構法」のことも「船がい(せがい)造り」と呼ぶようです。船べりから梁を突き出す様に似ているため、そう呼ばれたとのこと。

調べてみると、民家や商家でこのように2階をせりだした造りの建築は、他の雪の多い地方でも存在していたようなので、気仙大工のみの特徴とは言えないのかもしれません。隣地との間に通路をつくったり、2階の床面積を多くとりたい場合に有効なため、雪対策としてや隣棟間隔を広く確保できない場所で広まっていった技術なのだと思います。


妻面の小屋梁上の束と柱のずれをあえて強調したデザインがユニークです。

構造的には、2階の左右両方をせり出す方がバランスがとれて良いと思うのですが、通路が必要なのは片方だけだとすると、このような形になるのだと思います。アンバランスな形(地震時に偏心力が生じる)にも関わらず、今回の大地震にも耐えてしまうのですから、気仙大工の木構造には学ぶべき何かがありそうです。


大船渡市三陸町越喜来杉下でも「船がい造り」の建築をみつけました。崖に面する面の2階をせり出しています。


崖に面する「船がい造り」の建築の隣は、まさに気仙大工による仕事。

津波被害で無惨な姿にも見えますが、柱は何事もなかったかのように、そして誇らしげに大きな屋根を支えたまま直立していました。
恐るべし、気仙大工の技!

 

(写真撮影 2011年9月10日)) 塚田眞樹子建築設計